前回の記事投稿からあっという間に約2年…
「あ、あのこと書こう!」「このことも書きたい!」というのがあったのですが、構想を練っては仕事の波が押し寄せ…というのは言い訳にしかなりませんが、ちょっとずつ投稿頻度を上げていきたいと思います!
去る2022年4月10日、一般社団法人ビジネスコミュニケーション協会様が主催されている『IIBC Café Globe』というオンラインイベントに、ゲストとして登壇させていただきました!
参加者なんと約70名!!
事前に質問をいただいていて、カンペがてら回答を用意していたものの、限られた時間ですべてを語りつくせず…
ということで、一部当日言及したことも含まれますが、いただいた質問とその回答をこちらに書き留めておきたいと思います!
大きく、
①大学時代について
②フリーランスというキャリアについて
③今後について
の3つのトピックに分けてまとめてみました。
大学時代について
Q:自分の将来のために大学時代頑張ったことや、どのように過ごしたのか教えていただきたいです。
ピアノなどクラシック音楽が好きで小さい頃からドイツ語圏に憧れがあり、小学校の卒業アルバムに「10年後はドイツに留学している!」と書いていたほど、とにかくドイツ語圏に留学したいという強い想いがありました。
留学費用などの面から大学間交換留学で留学するのが一番理想だったので、大学時代前半は、数名分しかない交換留学枠を取れるようよいGPAを取ることと、留学費用の足しになるようバイトをすることに注力していました。
3年次に留学してからは、ドイツの大学で単位を取り、その単位を日本の大学で単位互換してもらって留学も含めて計4年で日本の大学卒業できるよう頑張りました。
…とここまで読んでお分かりかと思いますが、ドイツ留学自体が大きな夢で、その後の将来のことをほとんど考えられていない「ドイツ留学バカ」でした^^;
Q:なぜ外国語大学で英語ではなく、ドイツ語を学ぼうとしたのですか?
先にも書いた通り、ドイツ語やドイツ語圏に興味があったからです。
もともと言葉というものに強い興味があったので、もちろん英語も好きでしたし、就職には英語の方が有利だとは分かっていましたが、高校の時の先生が「大学は高校までと違って自分の好きなことを勉強できる」と話されていたのが印象的で、結局は自分の学びたかったことを専攻にしました。
Q:様々な場所に住まれたことの中でどのようなことが、言葉や文化の多様性に興味を抱くことにつながりましたか?
住んだ土地それぞれで本当にいろんな経験があったのですが…
例えば言葉について記憶に残っている一番古い経験は、大阪の保育園でのこと。先生に前日何を食べたか聞かれて、「ゲタ!」というと、先生に「それは履物で食べ物じゃないよ」と言われました。自分の中では絶対魚の名前だと自信満々だったので、家に帰って親に話してみたところ、ゲタは四国地方の方言で、共通語では「舌平目」と呼ばれることを知ったのです。同じ魚なのに違う呼び方するんだなぁと保育園児ながらに考えたのを覚えています。
文化の多様性が身に染みたのは、小学校高学年の頃。私が小さい頃はインターネットもさほど普及していなかったので、「自分の学校/住んでいるところ=世界」という感覚でした。しかし、小学校高学年で転校し、社会科で地域の歴史や文化を学ぶ授業を複数の地域で受けることになったので、日本国内でもいろんな文化があるんだと気づき、興味を持つようになりました。今思えば、思春期という多感な時期だったし、地域的にさほど転勤族が多い場所でもなかったので、言葉や文化の「違い」がすごく気になっていたんだなぁとも思います。
フリーランスというキャリアについて
Q:現在のフリーランスとしてのお仕事の内容を知りたいです
①記事執筆、②ワークショップの企画・主催、③プロジェクトマネジメントの3本柱です。今は、日本の企業のプロジェクトに、イギリスからリモートでプロジェクトマネジメントの立場で関わらせていただく③のお仕事が多くなっています。
Q:これまで、仕事のことや生活拠点など、様々なことに対して決断されてきたかと思いますが、その時に大切にしていたことはありますか?
いろんな方々の意見は聞いてみつつも、最後は「自分で決断すること」です。決断したことがうまくいかないこともありますが、自分で決めたことなので、言い訳をしたり、人のせいにしたりしないようにと心がけています。
Q:どのように使命に気付き、仕事へと変換していきましたか?
自分の使命に気づけているか…は正直分かりません^^;
日々暮らしながら、またいろんな方々といろんな仕事をしながら見えてくるものはたくさんあって、まだまだその刺激を受けながらいろんなことを模索している最中です。
「五十にして天命を知る」という言葉もあるように、使命に気づくまでにまだまだ時間がかかるように思います。
Q:フリーランスになるために働きかけたことを教えてください。
フリーランスになろう!と思って準備万端でなったというよりは、新卒で入社した会社を退職後に結果的にフリーランスになったので参考になるか分かりませんが…
以下の過去の投稿にいろいろ綴っているので、よければご覧ください!
Q:海外での教育系の職というと、どのようなものが可能でしょうか?
子ども向けの教育という意味では、学校教員(現地校・日本人向けの補習校)・民間の教育関連企業の職員・Childminder/babysitter・語学学校/文化講座の講師・非営利団体の職員などがあると思います。
ただ、私もキャリアを重ねる中で気づきましたが、「教育」は必ずしも子ども向けだけではありません。例えば企業の中にも従業員教育はあるし、個人的には、学校や仕事に限らず、「自分の持っている知識や経験などを他の人の人生の糧にしてもらう」ことはすべて教育といえるのではないかなと思っています。私の事業である記事執筆・ワークショップ・プロジェクトマネジメントにも、その要素は入っていると考えています。
Q:「やりたいこと、挑戦したいこと」を続ける姿勢をずっと持ち続けていたいなと考えてます。一方で「やりたいこと」ではなく、「相手から求められること」をやることが必要という考え方もあります。生きていく上でどうしてもこのようなちょっとした矛盾や葛藤があると思うんですが、どのように折り合いをつけてますか。
1つは、視点の持ち方だと思います。自分で「やりたいこと」ももちろん大事ですが、もしそれが誰にも求められていないとすると結局自己満足にしか繋がりません。例えば、今私の事業の大きな柱となっているプロジェクトマネジメントは、自分がものすごくやりたくて始めたというよりも、求められて始めたところが大きいのが正直なところです。しかし、いろんな背景を持つ人が1つのプロジェクトで協同する時に、「みんなが分かる言葉を使う」とか「それぞれの背景を考えて話す」というのは、いろんな国や地域に住んだ経験があるからこそ研ぎ澄まされたところが大きいですし、実際にクライアントから評価していただけている部分でもあります。そう考えると、「自分が得た知識や経験を活かして社会貢献をしたい」という私の「やりたいこと」の根底に通ずるものに適っていると思うのです。
もう1つは、「やりたいこと」を全部仕事だけでやり遂げようとしないことも一手だと思います。ボランティアなど、仕事以外の時間や場所で「やりたいこと」ができないか探ってみることもできます。例えば、私は今日本語の会話クラスでボランティア講師をしています。大学~大学院時代に専攻していた言語教育の知識を生かせ、クラスを通じていろんな方々と知り合い、教師と生徒とはまた違う立場でいろんな話ができるので、「あ~こういうのやりたかった!」と感じることも多いです。
今後について
Q:今後、どこでどのように生きていかれたいですか?
個人的には、ヨーロッパの多文化多言語が混じり合っている環境がすごく好きで、そういった多様性に溢れた土地で暮らしていきたいなと思っています。もちろん、いろんな文化背景を持つ人が集まるからこそ生まれる軋轢や紛争もありますが…
一方で、自分が日本で生まれ育った生粋の日本人というところは変わらないので、仕事であれ、そうでないところであれ、これまでに得た知識・経験やこれから学ぶことで国際社会(もちろん日本も含め)に貢献する想いは常に持って生きていきたいと思っています!